いちおう邪馬台国について |
記念すべき実質最初のエントリーなので、
誰でも知ってる邪馬台国と卑弥呼のことを書いてみます。
結論から言えば、あんまり関心ないんですよね(笑)。
正確にいうと、関心はあるんですが、
今ある資料だけで考えても限界があって
考えをめぐらしてもしっくり来ないから深く考えない、です。
邪馬台国に固執せず、
発掘や研究によって日本古代史において山ほどある
まだ知られていない様々なことがわかってくれば、
おのずと邪馬台国の場所も確定してくると思っています。
なのでわかりそうなことの方に当面の関心は向いてる感じです。
とはいえ、少し。
邪馬台国はどこにあったか? の邪馬台国論争、
魏志倭人伝を読むと、なんか九州内の話っぽく、なんですが、
私自身は、「邪馬台」の音だけを理由に、大和だと思っています。
卑弥呼は「ヒメミコ(姫御子・皇女)」、
または「ヒミコ(日御子)」ヒメコ(日女子あたりの字になるのかな)」あたりでしょうか。
外国人が聞いた日本語を外国語の音に当てはめているので、
こんな感じになるように思います。
とはいえ、当時の、魏志倭人伝が書かれたエリアの中国語発音がどうだったのか
っていうのは、いつも気になります。
それから、邪馬台の「台」は本当は「壱」だったり…とか。
でも古代、大和は一つの中心地であったことを考え合わせると、
邪馬壹(ヤマイ/壹=壱)ではなく、邪馬臺(ヤマタイ/臺=台)で、
邪馬台=大和 が自然でしっくり来るんですよね。
…と、何の解決にもなってませんな(笑)。
誰もが考え付きそうな既出の話ばかりで。
邪馬台国の場所そのものよりも、邪馬台国=大和だとすると、
九州から水行計30日って方が気になります。
本当にそれだけかかってたとすると、
瀬戸内海を通らなかった、通れない理由があったはずなわけで。
そうじゃなかったら、
儀式でもしながらのんびり進んだとか。それも興味ありますな。
それとも、中国からの使者の来訪を権威付けに利用するために、
デモンストレーション的に各国を連れまわしながら連れてきたとか。
現代でも、途上国に行くと、夢の先進国の日本人となると、
いろんなところ連れまわされるんですよね、
「どうだ、これが日本人だゾ、見たことないだろ」とか
「オレは日本人の知り合いがいるんだゾ」みたいな自慢兼周知目的でね。
当時の日本人も、先進国からの客人なのでやってるかもしれないでしょ(笑)。
「どうだ、これが中国人だゾ、見たことないだろ」
「中国人の知り合いがいるんだゾ、すごいだろ」みたいな感じで。
そうでなければ、使者の方が各地の視察を希望して、それに応じた結果とか。
いろいろ見たいもの、行きたい所を現地人に聞いてみると、
教えてくれるばかりか、いろいろ連れて行って見せてくれたり…
旅行者としては、こうした方向からの体験も数知れず。
長い行程は訪問者の好奇心と現地人のもてなしの心のコラボの結果、と。
邪馬台国に関しては今のところこんな感じです。
早く何か見つからないかな^^