敷居を踏むな の理由 |
古くはちゃんと理にかなったことだったのに、
長い間にその理由部分が忘れ去られ、形だけが残ってるものって、いろいろあります。
今回はこちらの矢印部分、「敷居」 の話。 (画像は長野県栄村の保存家屋)
中国の、山間に住む少数民族の村でのこと。
その村の家々は、石と木で造られた昔からの伝統家屋。
この少数民族の建物風景は、集落によっては
どことなく日本の田舎の木造家屋を連想するような雰囲気があるので、
興味深いものがありました。
ちょうど、都会から漢族(いわゆる中国人)が観光に来ていたのですが、
彼らは、家屋に出入りするにあたって敷居をまたぐこともなく、
頻繁に出たり入ったりするそのたびに、木の敷居に乗っかって敷居を踏んでを繰り返し、
日本人のワタシ的には、どうにも落ち着かないものを感じていました。
そのうち 家人(少数民族)がやって来きたんですが、
その光景を見るやいなや 「敷居を踏むな」と怒って即注意したのには、内心驚きました。
中国にはそういうのないと思ってたのに…
日本と同じなんだなぁ と、非常に興味深いものを感じたのでした。
中国人(漢族)は、社会主義国家建国以来の年月の中で、
そうした作法や礼儀、躾の類を完全に喪失している感じで、もはや味噌クソ一緒、
って印象が私の中にはあったんですが、
やっぱり中国にも、元々は、
「敷居は踏んじゃいけない」 とかの作法が存在してたんだろうなぁ…
で、以来、
日本と中国の少数民族エリア という、遠く離れた土地に共通する
「(木造家屋の)敷居を踏んではいけない」 理由が気になり始めました。
これだけ離れてて、直接の影響がないような2地域で共通して言われてるってことは、
迷信とか慣習とかで済ませる以前に、理にかなった何かがあるはず。
どちらかが影響したのではなく、
理にかなった行動としてそれぞれの地域で独自に発生して、
結果的に両地域が同じだった、という方向の方が自然なはず。
パキスタンの山奥に行ったとき、答えがわかりました。
パキスタンの山岳地帯にある村々の家屋は、非常に原始的で、
上の中国少数民族の家屋や、
ましてや日本の木造家屋のような立派なものではなく、
また、人々の生活も、非常に原始的なシンプルなものでした。
彼らの家にも木の敷居があるんですが、
特に作法はないらしく、みんな踏み放題。
結果、長年の中で、敷居は磨耗して凹状態になっていました。
画像を探すもなぜか見当たらないので、わかりにくい画像になってしまいますが、
こんな感じです(矢印部分)。
長く踏んでいるうちに、こんな風にへこんできます。
元は --- の状態だったのが、長年踏まれるうちに凹状態になるわけです。
敷居を踏んではいけない の理由は、
家を長く大切に美しく使うため
だったわけです。
手入れいかんでは何百年も持つような日本の木造家屋は、
それだけしっかり複雑に各材が組まれていて、
家の入口だろうと、部屋の仕切りだろうと、
とにかく敷居部分が磨耗してしまっても、そうそう取り替えられるものではありません。
また、磨耗してくれば、家はバランスを崩し、強度は低下します。歪みも出ます。
場合によっては、それが原因で長い年月の間には傾くかもしれません。
見た目も きたならしい。
敷居を踏んではいけない、は、祖先からずっと引き継がれてきた、
家を長く大切に使うための、美しい状態で保つための、
ちょっとした手間であり工夫であり知恵なわけです。
木造の家屋に住む中で、祖先が獲得してきた知恵。
成熟した木造文化が生み出した実利。
いつのまにか、形骸化してしまいましたが、
元は非常に理にかなった実用的な作法だったわけです。
畳の縁を踏まないのなんかもおんなじですよね。
畳の縁は、畳よりも出っ張っているから、踏めばそれだけ磨耗しやすくなるわけで、
磨耗すればそれだけ見た目、きたならしくなる。汚れもつきやすくなるだろうし。
…ということで、「敷居(畳の縁)を踏んではいけない」 は、
家のコンディションを良い状態で保つことで、結果として経済的に生活するための、
また、美しく生活するための 非常に理にかなった知恵だったわけです。