巫女埴輪に見るアクセサリー |
埴輪女性の髪型 につづき、今回もこちらの巫女埴輪。
今回は東京の国立博物館の画像資料を使ってます
(初めっからコンディションいいこれを使えばよかったんですよね)。
この女性の埴輪は、
腰から鈴の付いた鏡らしきものをぶら下げています。
こんな感じ。 ぶら下げているのは正面ではなく、体の後ろの方です。
今の世の感覚で見ると、そもそも服飾も生活スタイルも違うため、
こうしたものが現実的にはどんな感じだったのか が
どうもイマイチピンと来ないわけですが、
今でもこういう感覚で装身具をつけてる文化はいろいろあります。
たぶん、こんな感じだったのでは… と思います。
こちら。
中国・青海省のチベット族の服飾です。
今は完全に銀製の装飾品になっていますが、もともとは、
キラキラ光る鏡を装飾品としてこんな風にぶら下げてたのが始まりなのでは?
と思ってます。
それが、時間が経つうちに、鏡を模した装飾品に変化して今に至ってる、と。
巫女の埴輪が腰からぶら下げてる鏡と、
このチベット族の腰からぶら下げる装飾品、
左右は違いますが、ちょうど腰の同じあたりにおんなじような感じでぶら下がっています。
同じようなエリアでも、
場所が変わるとこの装飾もいろいろ変化して、とても地域性があるんですが、
画像で紹介しているタイプは、鏡をぶら下げてただろう原点に近い形のような気がします。
埴輪の巫女の鏡の使い方も、
呪術的という側面よりは、
首輪・腕輪・足環同様、高価な装飾品的な側面が強かったんだと思います。
鏡は、ご神体として共同体で共有されたような(バチアタリな書き方でスイマセンが)、
共同体唯一的な非常に貴重なものだったと思います。
それを、身分が高いとはいえ、個人的にこのように装飾的に身に付けられたということは、
かなり大きく有力な勢力だったのでは、と思います。
埴輪の出来の良さからも、その共同体の大きさ、水準の高さがわかります。
日本は、元からある文化も様々な上に、
いろんな文化がいろんな形で入ってきて出来上がっていったと思うので、
南方系、北方系、騎馬民族系、稲作農耕系など、
単純に一つを選んで突き進んでも説明できないと思っています。
なので、これで日本人の起源が!なんて思いませんが、
先の埴輪女性の髪形も今回の鏡をこのような形で腰に飾るのも、
例示として示したのは、北方騎馬民族系民族の習俗です。
少なくても、この埴輪の出てる関東は、
こうした勢力が何らかの影響を及ぼしてたんじゃないかな、と思ってます。
かつての日本の習俗の一端が、
今でも世界のどこかで体温ある習俗として残っているのはとても興味深く、
苦労していろいろ旅する甲斐もあると思っています。
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