仏像の衣 |
こちら、東京の国立博物館に展示されてた仏像です。
重要文化財 聖観音菩薩立像。 平安時代9世紀 醍醐寺。
仏の種類はともかくとして、仏像といえば上の仏像にも見られる衣のヒダ。
定型化した、ヒダのある衣がつきものです。
インド発祥の仏教は、その後、中国、朝鮮、と東に伝えられ、
日本には、仏像と共にやってきました。
で、以来日本では、多少の変遷はあるものの、
仏像といえば、こういう定型でずーっときています。
仏像の服飾だとか髪型だとかの細かいことを
現実にスライドさせて考えるようなことはしません。
だって「仏像だから」。
日本では仏像の姿は現実ではなく、何から何までフィクションなのです。
そういうことで、専門家でもない限り、日本人が仏像を見るときは、
リアルな世界とは切り離されたものとして対峙していると思います。
さて。
インドで生まれた仏教では当初、偶像崇拝はなく、
「仏像」というものもなかったのですが、
アレキサンダー大王の東方遠征によってギリシャ文化がもたらされた結果、
ブッダの姿をかたどった仏像が作られるようになったといわれてます。
いわゆる、ガンダーラ美術といわれている仏教美術です。
ガンダーラ美術の仏像はこんな感じ。 如来立像@これまた国立博物館。
2~3世紀、パキスタン・ペシャワール付近出土のもののようです。
ワタシ世代は(少なくとも私は)、
ガンダーラというと、ゴダイゴが歌ってた、
美しい三蔵法師が孫悟空・猪八戒・沙悟浄を引き連れてインドを目指す
西遊記の歌を思い出します。
その歌詞では、ガンダーラはインドにあるらしい となっていることもあって、
何重にも ガンダーラ=@インド のイメージがあるんですが、
実際のガンダーラは、今のパキスタンからアフガニスタンにかけてのエリア。
で、この、ギリシャ文化の影響を受けて仏像が作られるようになった、
と説明されるガンダーラ仏、
このブッダが纏う衣の表現も
そうしたギリシャ彫刻の影響、の説明がされます。
これがちょっと。 個人的には?と思ってます。
この仏像が発掘されたかつてのガンダーラ、
今のパキスタン・ペシャワール地方の人の服の様子って、
実際この仏像みたいなんですよね。
ちょっと適当な画像がないんですが、
こんな感じ。
みんなすごく大きな一枚のウールの布を体に巻いてます。ストールです。
こっちも。
夏場は暑いのでこんな風にストールを付けてることはないんですが、
冬は、郊外に出るとみんなこんな感じでストールを巻いてます。
上画像のガンダーラ仏の如来立像も、
このご当地ガンダーラ地方の当時の服飾でブッダを表現したと思うんですよね。
で、このエリアの服飾は、
今も基本的にはガンダーラ美術を作った当時とあんまり大きく違ってない、と。
仏像の衣のヒダを見ると、どうしても無意識に、
木綿の白や淡い色の生地を纏っているようなイメージで見てしまうんですが、
そういうことで、実際はそうじゃなくて、
最初は、現地の服装である毛織の衣を表現したものだった。
その後、この初めて仏像が作られるようになったエリアの服装を纏った仏像が
他エリアに伝わると、そのまま仏像の定型となって、
最終的には日本にまでやって来て、
日本においては千数百年、定型化したまま作られ続けてる と思うわけです
この最初の仏像が、
ギリシャ文化の、つまりギリシャ彫刻の影響を受けた、と説明されちゃうもんだから、
服装そのものがギリシャ彫刻をマネた、実体のない定型的なもの
と捉えられがちだと思うんですが(少なくとも素人的にはね)、
実際に影響を受けたとすれば、それは、服飾ではなく、ヒダの表現方法、
だと思うんですよね
私自身は、これも?の可能性ありとは思うんですが、
仏像のないゼロ状態からこうした仏像を作るようになったということは、
確かにギリシャ文化の影響なんて全くないんだ!とまではいえないと思うし、
そうなると、衣表現も影響を受けたかもしれないな、程度のものなんですが。
仏像はギリシャ文化の影響を受けて作られるようになった、
だから、仏像にはギリシャ彫刻の影響がいろいろ見られる、
みたいな抽象的な説明だと、それだけが独り歩きを始めて、
どうしても、ブッダ像そのものが実体のないギリシャ彫刻のマネ、
纏う衣もギリシャ彫刻のマネ、みたいな
日本人が仏像を見るときのような、フィクションの前提で捉えちゃいがちですが、
実際は、基本的に、仏像が作られた当地の、当時の服装と思うわけです。
つづく 仏像は現地人の顔になる
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