日向の髪長姫 |
記紀に 日向の髪長姫(かみながひめ)の話があります。
美人の評判を聞いて、
応神天皇が日向(今の宮崎県)から呼び寄せるのですが、
難波の港に到着した髪長姫を皇太子であった仁徳天皇が見初めて、
結局仁徳天皇の妃になった という話。
この「髪長姫」という名前がとっても興味深いのです。
髪長姫というのは、
親が付けたわけでも本人が名乗ったわけでもなく、
その見た目から周りが付けた名前。
この「髪長姫」という呼び方が表しているのは、
美しい女性の、その中でも特に特徴的だったのが「髪」ということ。
長くて、きっときれいな髪だったんだと思います。
ちなみに、私の髪はクセっ毛で、良く言えば外人さん的な感じ。
で、髪を伸ばしても、ある程度の長さになると、
擦れて毛先が細くなって、どんどん巻いてしまう(笑)。
普通にやってる限り、
肩甲骨あたりまで来るとそれ以上伸びないんですよね。うん。
髪長姫の髪質ではないのです。
つまり。
当時、長く美しい髪の毛をした美人を「髪長姫」と呼んだってことは、
多くの人は、大なり小なり私みたいな髪の毛だったんじゃないか
と思うわけです。
今は、直毛かそれに近い人が多いわけですが、
当時は多くはなかった、
そんな当時の民族分布のようなものを、
この「髪長姫」の名称に感じるのです。
縄文人・弥生人とかの話になってくるのかな。
もともとは、非髪長なタイプが日本には多くて、
その後、髪長タイプが多く入ってきた、とか、
その髪の美しさから、より多くの子孫を残してどんどん数を増やした、とか、
そんな感じでしょうか。
その「髪長」な髪質が日向にいて、
その日向ってのは、天孫一行が住み着いたところだったり、
日向から神武東征がスタートしたり。
天津祝詞では、筑紫の日向の橘の… と、日向と橘がセットになってたり。
橘といえば聖徳太子で…
などなど、いろいろ興味深いのです。
この、髪長姫の親の話として、
角の付いた鹿の毛皮をかぶってた、なんて記述もあって、
これは、どうしてもAAを想像しちゃって、なんか面白いんですよね(笑)。
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