大和絵の中の「型」 絵画に日本人の空間感覚を垣間見る (2) |
(1) のつづきです。
(1)では、高雄観楓図屏風に隠された構図のすごさに触れました。
素晴らしすぎる、計算されつくされた構図。
このような規則性ある直線を下地に描かれている、
という視点に気がついて考えてみると、
日本では古くから、
直線を絵の骨組みにして描く「型」があることに気がつきました。
こちらは有名な源氏物語絵巻 宇治十帖「東屋」の巻。
平安時代(794-1192年)末期の作品です。
斜め上から見下ろす俯瞰的な視点で、
屋根や天井を取り払った、吹抜き屋台と呼ばれる描き方がされています。
平安時代の前半に遣唐使が廃止されてからは、
中国の影響を受けない日本独特の文化が花開いていくのですが、
この絵巻も「大和絵(やまとえ)」といって、
そうした文化の国風化の中で生まれてきた、
日本人の感性に合わせた日本的な絵画で、
その後の日本絵画の1つの中心となっていきます。
大和絵も、そこに使われている吹抜き屋台の画面構成方法も
国風化の中で生まれてきた日本的なものです。
ところで、この、家屋内にいる人々を俯瞰的に描く吹抜き屋台の構図は、
家屋や部屋という直線で構成されているものの形から、
おのずと規則正しい直線が絵の枠を作ることになります。
こんな感じ。
こちらは同じく源氏物語絵巻の「柏木」の巻。
こちらもこんな感じ。
こうした、絵を構成する交錯する規則正しい直線の骨組みというのは、
実際は、家を描いているんだから当然こうなる、って大前提で無意識に見てしまい、
「そんなの当たり前」的な当然のこととして素通りしてしまうような、
そのくらい、こうした「直線構成」は日本絵画の大前提、
日本人の絵画に対する大前提として長らく無意識下にあるものだと思うのです。
観楓図屏風に美しい幾何学的構成が隠されているのに気がついたとき、
真っ先に浮かんだのが、
大和絵の持っているこうした直線による空間構成を前提にした構図のとり方でした。
日本人は、大和絵を通して何百年にも渡って脈々と、
こうした幾何学的な空間構成の視点を持ち続けてきたようです。
日本人には、家屋の形態などから、実は国風化以前から、
もともとこうした幾何学的な直線構成の視点があったような気がしています。
これについては、またあとでorそのうち触れます。
こちらは、観楓図屏風の作者である 狩野秀頼の
父(もしくは祖父)である 狩野元信 が描いた大和絵「酒飯論絵巻」の模本です。
こちらでもやはり、伝統的な吹抜き屋台の構図で描かれ、
このように幾何学的な骨組みが画面に交差します。
俯瞰と幾何学的な構図による構成は、室内を描いたものだけではありません。
こちらは、「洛中洛外図屏風」(歴博甲本)。
洛中洛外図はいろいろな作者によるものがありますが、
この洛中洛外図は1520年代に描かれた、現存最古のものです。
ちなみに、
観楓図屏風の作者の父(祖父)である狩野元信の生没年は 1476-1559年なので、
同時期の作品、ということになります。
こちらでもやはり、このように画面上は、
吹抜き屋台以来の直線の交差で構成されています。
この吹抜き屋台以来の、俯瞰的かつ規則正しい直線の交差による構図の取り方は、
本当に大和絵の中に染みていた「型」だったように思われます。
ところで。
何か気付かれことはありませんか?
ここまで、いろいろ線を入れた絵を載せてきましたが、
全部、水平線と斜線で作られる、「平行四辺形」の構図なのです。
こんな感じ。
でも、
観楓図屏風は、平行四辺形の構成ではなく、菱形の構成。
平行四辺形が90度立ち上がらないと菱形にはならず、
これは、今の感覚で見てしまえば大した変化ではないように思われるかもしれませんが、
上で見てきたように、
平安時代以来何百年も脈々続いてきている大和絵の型がある中では、
平行四辺形から菱形への画面構成というのは、
ある意味、コロンブスの卵的なものだったように思うわけです。
まだまだ続きますが、ひとまずこれで。
つづく 構図にみる大和絵と漢画の融合 観楓図屏風(3)
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