構図にみる大和絵と漢画の融合 絵画に日本人の空間感覚を垣間見る (3) |
ずいぶん間が開いてしまいましたが、(2) のつづきです。
(2)では、
日本には吹抜け屋台という画法があって、そのスタイルで描かれた絵では、
平行四辺形で構図を作ることが脈々と続いてきた中でのこのような菱形への変換は、
思っている以上に画期的だったはず。
…というようなところで前回は終わりました。
古くから平行四辺形の構図という型があった絵画表現において、
90度立ち上がった菱形構図の出現は、
構図の幅を広げ、その後の絵画にも大きな影響を及ぼしたと思われます。
これがなぜこの時期に現れたのか、ちょっと考えてみました。
観楓図屏風は、16世紀、室町時代末の作品といわれています。
作者の狩野秀頼は、狩野派の祖・狩野正信(1434-1530)の孫。
狩野派というと、
色鮮やかな絵画のイメージを思い浮かべる方も少なくないと思うのですが、
もともとは漢画系の絵師。
漢画とは、日本風の絵画である「大和絵」に対して、
水墨画を中心とした中国風の絵をさします。
狩野派の祖・正信はこの漢画を得意としていました。
漢画、つまり中国風の絵画ということは、
水墨画など中国の絵画を直接間接に手本としたはずです。
正信の時代までの水墨画から3点ほど挙げてみます。
たとえば、こちらは、瀟湘臥遊図巻(李氏作・南宋12世紀・国宝)。
たとえば、こちらは、雪景山水図(梁楷作・南宋10-13世紀・国宝)。
たとえば、こちらは、秋冬山水図(雪舟作・室町時代15世紀末~16世紀初・国宝)。
雪舟(1420-1506)は正信と同時代で、中国でも水墨画を学んでいます。
これら中国由来の水墨画の構図には、非常に興味深いものがあります。
瀟湘臥遊図巻。
雪景山水図
秋冬山水図。
中国風の絵画ではどれも、縦方向に広がる構図、つまり菱形で絵が展開しています。
そして、
周茂叔愛蓮図(15世紀・国宝)。
漢画を得意とした狩野派の祖・狩野正信の作品です。
こちらもやはり、縦方向の構図です。
線はもう少しは引けますが(つまり菱形になる)、
かえってわかりにくくなるので割愛してます。
漢画スタイルの正信や、同時代の水墨画大家・雪舟の絵画では、
中国の水墨画同様に、菱形を作る縦方向に広がっていく構図を持っています。
ただ、「中国風絵画」という縛りが強いのか、
正信・雪舟この同時代2人の作品の中に見るラインは、とてもシンプル。
黎明期的なものを感じます。
さて。
こうした漢画をベースに持ちながら、
ここに大和絵を取り込んだのが、狩野派二代目の狩野元信(1476-1559)です。
元信は、漢画に大和絵の技法を取り入れ融合させ、
以後の華やかな色彩の狩野派スタイルの基礎を作ります。
上でも載せたこちら「酒飯論絵巻」模本の原本は元信作です。大和絵。
そしてこちらは元信筆と伝えられる漢画。商山四皓・竹林七賢図屏風。
このあたりになってくると、漢画の縦方向の構図が
大和絵の平行四辺形的な規則正しさを持ってきていて、
同じ漢画でも、正信や雪舟の時代に比べて、
かなり日本的な菱形の入り方になってきているのではないでしょうか。
この元信は、観楓図屏風作者・秀頼の父。
秀頼の観楓図屏風に隠れた菱形の構図は、
父・元信の成した漢画と大和絵の融合を元に、
秀頼の才能が生んだ構図、と言えるのではないでしょうか。
縦方向に向かう漢画スタイル+大和絵の規則正しく並ぶ平行四辺形
が融合して出来上がった、
画面いっぱいを使った相似の菱形が織りなす規則正しい構図、観楓図屏風。
狩野派はもとは漢画から始まっているので、絵画の中に漢画手法が散見される、
として、絵画中の山の描き方や背景などのパターン化された部分が指摘されるのですが、
漢画と大和絵の融合という点では、何よりもまず、
平行四辺形から菱形への、この構図の大転換があると思います。
私は個人的にこの秀頼という人物が好きなのです。
まぁ観楓図屏風を通じてしかわかりませんが(笑)。
観楓図を見る限り、
菱形構図の美しさ、
聖と俗を上下に、季節の移ろいを横方向で、表現する構図の取り方、
由緒も格式もないけれどそこそこお金を持っている庶民が
楽しそうに過ごしている様子など、人々を捉える際の視点、
デフォルメしたモミジ、など、
芸術家であると同時に、教養ある文人というか学者肌だったのではないかと思っています。
構図もすごいんですが、何をどう描くかの視点が優しくて、そして非常に奥深いんですよね。
人物をこのように描くのは、大和絵の源氏物語絵巻を彷彿としますし、
楽しそうな庶民の様子という視点では、鳥獣戯画を思い出す、
私にとっては、観楓図屏風はそんな作品です。
秀頼という絵師は、現代にも通じるような人々の意識が高かった平安時代後期の
感性レベルを持っていた人だったのではないか、そう思ったりするのです。
ついでなのでもう少し。
2代目元信のあと狩野派を継いだのは、松栄(1519-1592)。
秀頼の弟で、狩野永徳の父です。
永徳は、信長の安土城や秀吉の大阪城などの障壁画を手がけた時代の寵児です。
最後に、おまけで。
時代は戻って、こちらは、
狩野派の祖・正信と同時代の雪舟作と伝えられる「四季花鳥図屏風」です。
「雪舟筆」ではなく「伝・雪舟」。
本当に雪舟が描いたのかもしれないし、他の人かもしれない、そんな作品です。
同じように線を引いてみると、
ちょっとキレイに複雑に線が入り過ぎるように思うんですよね。
時代を追って見てきた通り、初期にはまだそんなに複雑な線は入りませんでしたよね?
そう考えると、これは雪舟筆ではないんじゃないかな、と個人的には思います。
線だけの感じだと、雪舟よりもっとあと、松栄あたりの時代なのでは。
まぁ、素人が勝手にそう思うだけです。
絵画に入れた線は、あくまでも参考程度です。
気になるところに片っ端から入れていくと、かえって、よくわからなくなってしまうので
わかりやすそうなところに最低限的に入れました。
ずいぶん間が開いてしまいましたが、
ずーっと気になっていたエントリー、ようやく終わりました!
当初はもっと濃密に書き込むつもりだったのですが、間が開いてしまったことで、
書こうとアタマの中であふれかえっていたことをすっかり忘れてしまったり、
また、この間も書きたいことはいっぱいあったのですがこれが詰まっていたために、
別話題のエントリーもできず、
そんなこんなで、ずいぶん反省しました(笑)。
これからはあまり続きモノにせず、溜め込まないように気をつけます^^
長々お付き合いくださり、ありがとうございました^^
観楓図屏風 ~絵に隠された規則性~ 絵画に日本人の空間感覚を垣間見る (1)
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